小学校による宗教授業の背景について
まず、結論から言いますと、私は道徳教育の一環として宗教教育は必要だと感じています。
その理由は後から述べることとして、その前になぜフランスの小学校で宗教の授業があるのか?まずは、その背景からご説明したいと思います。
これは地域性から来ているもので、私の住む地域フランス北東部のL’Alsace-Moselle(ラルザス”アルザス”-モゼル)は普仏戦争で敗戦国となった為に、フランクフルト講和条約によってによりドイツへ割譲されたので、元ドイツ領でした。
その歴史背景により今もなお、ドイツ併合の影響が残っており、その名残から現在も、元ドイツ領の時代の法律を交えた特殊な法律が存在しているのです。
その特殊な法律とは、「アルザスとモゼルの現地法律 Le droit local en Alsace et en Moselle」と言う、この地域独自の法律です。
この地域の法律によって私の住んでいる地域は、他の地域とちょっと異なった定めの中で生活を送っています。
例えば国民健康保険(sécurité sociale) の返還率や休日日数。そう、休日が2日多いんです。ほかには社会扶助などもありますが、公立小学校の宗教の授業もその一環で、小学校生活の5年間は毎週一回授業が設けられています。
ですから、この地域だけの法律なので、他の地域では宗教の授業はないのです。
私の夫は隣の県出身なので、宗教の授業は受けていません。これって大きな違いですよね。
公立なので宗教授業は出席必須?
本当は別の宗教信じているけど、学校は義務教育だから、やっぱり授業は受けないとダメなの?
いえいえい、そんなことはありません。
この授業を受ける前には、学校側は各家庭に宗教の授業を受けるか否かという参加の有無を、書類で確認してきました。そう、強制ではないのです。
もちろん生徒の家庭は皆キリスト教信者ばかりではありませんし、家庭の方針もあるので受けなくても構いません。
拒否した生徒はその場合、宗教の授業が行われている間は、自分のクラスから別の場所に移動し、違うカリキュラムの授業を受ける事になっています。選択出来るところが良いですよね。
実際の宗教授業内容とは?
どんな宗教の授業をするか?というとやはりキリスト教についてです。
実際、どんなことを学んでいるかノ-トから推測してみました。
Avec quelqu’un qui nous rassure,on n’a plus peur.
Avec Dieu je n’ai pas plus peur, je suis rassuré(e).
「私たちを安心させる人と一緒ならもう怖くない。神とならもう怖くない。私は安心した。」
この文から想像するに、神の存在は心の拠り所と言った所でしょうか。
写真下の先の絵は何かから隠れている絵で、後の絵はDieu(神)に抱きかかえられて安心している様子が描かれています。
肝心の内容ですが私も興味があるので息子に、どんなことをしたのか毎回聞いているのですが、全然面白くない(C’est nul!)という感想ばかりです。
一体どんな授業を受けているのかちっとも分からず仕舞いだったのですが、クリスマス前にようやく宗教ノ-トを持って帰ってきたので、どんな事を学んだのかわかりました。
プリントから見ると、一応歴史から習っているようです。
しかし、こんなこと習ったという話は全く聞いていません。
一度、息子が「Jésus(イエス)が友達に世話してた」と話ししてくれましたが、脈略が解らず謎のままでした。
しかし、ノ-トを見てやっと理解しました。
写真下の絵で発覚!
本当にお盆持って奉仕していました。
彼はJésus(ジェジュ=幼児イエス)ではないと思うのですが..。すごく今風ですし。
イラストの直ぐ下の文はこのような文章が書かれています。
息子の字が読みにくいので書き直します。
Jésus demande à ses amis de rester éveillér et de se tenir prèts.
イエスは彼の友達に(寝ずに)起きていますか? 出発の準備は出来ましたか?と尋ねます。
Jésus raconte l’histoire d’un homme qui part en voyage.
Le portier guette son retour.
Le maître est tellement heureux qu’il invite le veilleur à sa table et il se met lui-même au service.
イエスは旅立つ人の話を語り、門番は彼の帰りを待ちます。主は喜んで番人をテーブルに招いて、おもてなしをします。
残念ながら私にはこの話について、なんのことやらさっぱりわかりません。夫に聞いてみましたが、彼も一応カトリックでありながらも、全く信仰心がないで、わからないとのこと。
宗教授業の必要性やメリット。
我が家は、授業を受けさせる事にしました。
理由は宗教の授業は歴史を学ぶ事でもあり、一般教養として知っていた方が良いと思ったからです。
そして今日の宗教授業は、宗教色の濃いものではなく、道徳性を身に付ける内容も含んでいるので、生きていくのに大事な事だと思って受けることに決めました。
フランスでは道徳の授業はありません。ですから、
「規則正しい生活をしましょう」
「人に親切に」
「身の回りの整理整頓をしましょう」
というような、日本の道徳のような、社会性や善悪の判断などの、規範意識等を学校では教えてくれません。フランスではこれらは全て家庭で教育しなければなりません。
幸い宗教の授業があるお陰で、少しだけでも道徳を学ぶ事が出来きます。週一回の授業なら必要性はあるし、あっても良いと感じています。
下の写真をご覧ください。
ノ-トに4つの注意事項が書かれていました。(解りやすいように少し意訳しています)
1.J’écoute la maïtresse.
先生の話をちゃんと聞きます。
2.Je lève le doigt pour parler.
話したい時は、指を上げます。
3.J’écoute le camarade qui parle.
クラスメイトが話しているときは、ちゃんと聞きます。
4.Je reste assis sur ma chaise.
授業中は、立ち歩かないで自分の椅子に座ります。
※フランスでは先生と話したい時、手を上げるではなく、人差し指を立てて腕を上げます。
この4点は、至って当たり前のことですが、学校生活する上で大切なことですよね。
このような事を学校で教えてくれるのは、有難いとさえ思います。
ちなみに息子のクラスで宗教の授業を受ける生徒は、クラス全22名中21名受けており、1名除いてほぼ全員が受けていました。
息子と同じクラスのママさんに聞くと受ける理由は、現代の宗教授業は、もはや宗教の為というより、授業内容はグロ-バルな話だし、道徳も教えてくれるので悪いことではないという、我が家と似たような考え方からでした。
この授業は担任の先生が受け持つのではなく、教会の関係者の方が授業の為に学校へ来られています。でも子供達が授業つまらなくて、おしゃべりばっかりしていて怒ってばっかりと、息子の話から聞きました。
実際のところ、子供たちにとって想像の中のイエスの話は、リアリティがないせいか、ただの退屈な話としか思えなさそうです。
日常に役立つ内容もあり
写真上のプリントの内容は、宗教を絡めた道徳のようなお話でした。
その内容とは「お友達が来る前には、準備とおもてなしが重要」との事。
お友達を、家に迎えるまでの段階も書かれています。このくだりは、実際の生活に役立ちそうです。
授業を受けることによって、子供達はイエスの事を理解しているのか?と問われれば、生憎してなさそうです。
親が信仰心が強い家庭であれば、多少は理解しているかもしれません。
我が家は夫の家族も含め、宗教心があまりないので知らない事も多いです。
クリスマス前にはこのように、ちょっと楽しそうな絵がありました。
息子曰く「今日の授業は色塗りだったから楽しかった」と言ってたので、やっぱり神について関心がなさそうです。
この宗教の授業はCM2(5年生=小学校の最終学年)まであり、私自身キリスト教ではないのですが、
フランスに住むと、祭日が宗教に関している為に段々と興味を持つようになりました。
自分の国の文化を学ぶためにも、やはり背景を知る必要は大いにあると思います。
まとめ
宗教のノ-トには「Dieu(神)は貴方の心の拠り所でもありますよ」、と教えていてくれています。
自分一人で問題を抱えるのではなく、心の拠り所がどこかにあると、気持ちも安らぎますよね。
この授業で「自分は1人きりではない」と、どこかで感じてくれたらそれだけで嬉しいです。
それと、この宗教の授業内容はやはり時代とともに徐々に変化して、今は随分宗教色が弱くなっていると、50代の友達のママに聞きました。
もっと宗教について詳しく勉強したい場合は、教会に行くと色々教えてくれますが、今の所我が家ではこの授業で十分だと感じています。
もし今後息子がもっと知りたいと思う様になれば、自ら進んで勉強するでしょう。
なにはともあれ、私自身はこの地域に宗教の授業があってよかったと思っています。
かく言う私も小学生の事は、道徳の時間は退屈だったんですが、たった週一回の授業です。
面白くないかもしれませんが、将来どこかで役に立つので、頑張ってもらいたいところです。
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